創作文章 獏の骨 

散文、詩、日常独白雑想

(現実のはなし) 夏になるのが早い気がするのだ

 

 

 

 

三月下旬、ついにクビキリギスを発見、夜には初夏になると鳴く虫たち特有の電気音じみたコーラスが始まっている…おいおいまだ三月だぞ?夏になるのが早い気がするのだ。初夏になると自宅にはヤモリやイモリや蛙、また彼らの餌となる種々のコオロギ類やら何らかの虫、ごくまれに青大将も出没する。ヤモリは夜な夜な飾り窓に貼りついて白い影を浮かび上がらせているだけなのでかわいいが蛇はちょっと怖い、そして亀…この亀が何亀なのかはわからないが外来種の可能性もある。こいつらは川辺に居て日向ぼっこをしたりしているのだがまれにそこいらに這い出して来る。生き物は基本的には好きなんだが川辺の清掃に行くのが少し億劫である。足首の皮膚さえ出ていなければバッタ類をはじめ特段噛んでくる虫も居ないということはここ数年の暮らしでわかってきたのだが…こっちがわかってても向こうがそうとは限らない、今年生まれたばかりの虫たちに人間特有のマイルールが通用するとは限らない。水辺を見るとウシガエルはともかく、すっぽんと思しき生物も居たりするし…ああ、生き物関連で言えば夏場が一番奇天烈な体験をする羽目になるとわかっているので今から心構えが必要、人間も何故か騒がしくなるので覚悟が必要、そう思って若干うなだれているとシジュウカラが庭で思いっきり囀っている。

 

そういえばもうずっと昔に自転車の籠の中に巣をこさえた能天気なシジュウカラが居たなあ。

 

そのシジュウカラの雛たちは蓬色の混ざった灰色の身体をぎゅうぎゅうに押し当てて暖め合っていた。それを自転車の籠の上のカバーを開けて人間たちが大勢見物に来たものだ。私は、この人間共の全員が全員性善説を軸に生きているわけではないということを踏まえて子供ながら巣を若干監視していた。いたずらや虐待をされないかチェックしていたのだ。当時は団地の一階に住んで居たこともあり件のシジュウカラ入りの籠のデカい放置自転車はベランダの目と鼻の先に在った…ああ、まるで今そのシジュウカラのうちの一羽がついに巣立ってこうして時空をも飛び越えて庭先まで来て歌っているかのようだ。結局鳥に対しては皆性善説そのものであったらしく、薄汚い猫たちまでもがカバー付き自転車籠の中身、お菓子のおまけのようなあのシジュウカラには手を出さずに居たと見える。初夏のある日に気がついたらすべての雛が巣立っていたのだ。桜の木の幹を這う毛虫、花びらが舞い散るとタバコの吸い殻を探すのに手間取るので春爛漫の花吹雪にはさして感動しなくなってしまった。恋と同じで若い時には感動したが最早沸き立つものを感じない、それでもしがみついて手放さない、ともすれば噛みつき、首が捥がれようとも喰らいついていたいほどの、保護欲求あるいは自然所有欲に駆られている私は今、早くも古枝と化している。空気そのものは夏へと変容している、夏になるのが早い気もするのだ。

 

 

 

 

 

 

 

※この記事を書いたのは3月下旬です。