創作文章 獏の骨 

散文、詩、日常独白雑想

【散文詩】 黄色い花 (アジア人ヘイトクライムに対する詩)

 

 

 

言葉の無い世界で福寿草が黄金色を力いっぱい広げ、水仙は黄色い花弁を覗かせて立ち上がり踊る、この踊りは実は演武で、命が個々の平和を願う時に必然的に発生する言葉なき闘いでもあるのだ、言葉のある世界でジョンレノンがいくらエンドレスで歌っても僕らは差異を見逃せない、チャイナウイルスってのは中国叩きじゃなくて要するに、黄色人種への嫌悪感を都合よく表した言葉で、奴らにとっちゃコロナもチャイナもどうでもいいんだ、だから海外の道端で殴られてもアイアムジャパニーズなんて呪文は通用しないし的外れだ、中国人をやっつけろって言ってる日本人はこれがイエロー全体へのヘイトだってことに気付いているのだろうか?すべての黄色人種及び黄色人種の血を近く継いでいる人々は、それでも自分たちに対して何処か自罰的で、ヨーロッパの街並みにアジア人観光客が溢れているのを『マイナス』評価し、日本の京都や白川郷なんかに白人様や白人の振る舞いをする黒人殿たちが観光にいらしてるのは『プラス』評価もプラス評価、なあ、僕らは潜在的に白人を崇めているのか?ちなみに江戸末期に開港するかしないかで揺れ動いていた当時の日本人は、異人打ちみたいなヘイト感情を白人種に対して結構露わにしたそうだ、我ら黄色人であるところの日本人は白人に対する差別感情を抱いていた、別にこれを推奨しているわけじゃなくて、そもそも僕ら人間は差異を恐れる、愛の反対は恐れなんだ、そして恐れていることを自分でも認めたくないから先に攻撃してしまう、これが個人単位で起こる嘲笑なのか国単位でのヘイト行為なのかで事の重大さは変わってくる、個人単位での話なら…例えばしょっちゅう嘲笑対象になる人に向かってこんなアドバイスをする奴も居る『それならもうちょっとまともな恰好すれば?立ち振る舞いをプラスの方へ変えれば?今の自分はそのままでいいなんて思ってるからいじめられるんだ』これは実は恐ろしい考えで、劣っているならばいじめてもよい、変わっているならば叩かれてもいいという狭い了見をさも正論であるかの如く示す負のフレーズのように僕には感じられる、相手に合わせればいいってのは自滅の第一歩でそれこそが弱さだ、差異を無くせば物事が済むと思っているならば今すぐその軟弱な考えを改めたほうがいいと僕は個人的には言いたい、個人規模の話と人種規模の話は別モノだという意見もあるかもしれないが、外部の軸に自分を合わせれば攻撃されなくて済むという考え方を人種単位に当てはめると、黄色人種が白人種と混血すれば差別されなくて済むという白人好きの黄色い女の持論とほぼ同一の見解にまで貶められてしまう、今潜在的に日本の誰もが思わされている事は黄色人種黄色人種のままでいてはいけないという謎の暗示だ、学校で英語を習い続け、犯罪率の少ない故郷を平和ボケと何故か自虐する、自分たちを恥ずかしい存在だと何故思っていなきゃならないんだ?異人となんか寝るわけないじゃないかと端女郎までもが言っていた当時、まだ江戸の誰もが自らを黄色いと自称せずにいたあの頃におそらく単純明快に金の為に白人と交わったであろう僕の祖先よどうか答えてくれ、僕に血のつながりのあるすべての人よどうか答えてくれ、差別は無くならない、その代わりに差異を相手に合わせるんじゃなく自らの軸として毅然と闘う術をどうか教えてくれないか、僕に血のつながりのある人たちみんなの問題だ、わかるだろう?結局白人も黄色人種も黒人も結局すべての人間に血のつながりがあるという事を…何故わからないのかと僕は自分に問いかける、僕らは差異に固執している、チャイナと言われて馬鹿にされたと感じている時点で奴ら嘲笑者の浅はかな欺瞞に引っかかっている、イエローと言われてもそれがどうしたと返せなきゃ意味無いんだ、ジョンレノンの歌は未来永劫流れるだろう、それでも本当の意味での闘い方を誰も僕らに教えてはくれない、黄色い花びらのクロッカスが無言のまま堂々と微笑みかけ、菜の花は幸福の色を掲げて静かに静かに爆ぜている、植物に言葉は無いけれど皆命の舞台で闘っている、凛と咲き乱れる花々に闘いそのものを見て取る、僕は黄色い花をここに掲げる、争いではなく自らの闘いの花をここに掲げる。