創作文章 獏の骨 

散文、詩、日常独白雑想

(現実のはなし) クローバーの種蒔き

 

 

空気の中に雨の匂いがしはじめたらそれは春の合図だ、土を全体的に少しだけ穿って凸凹にしたら種蒔きをする、夏の間照りつける日差しから庭土の菌類や他の苗を守るためにクローバーを生やすのだ、真空保存された彼らもまた合図を待って眠っている、湿っぽい土の上に落ちたら上から優しく昼寝用の薄い掛布団でも覆うように少しだけ土をかけ、踏み固めると説明書きには書いてあるが小さな庭でほかの植物もいるので手で土の上から叩いてやる、ほらもう春だよと太鼓の音のように土中に我が手のリズムが刻み込まれる、土に於ける何らかのポテンシャルは外部からの間接的な刺激によって高まり、それを種も感じて目覚めて活性化するのだ、はじめてクローバーの芽が庭全体に出たときに感動した、間違って土中深くに埋もれた種はもやしのように長く伸びて闇の中を光を求めて彷徨っている風だった、夏になるとこの緑の絨毯は冷却効果をもたらして土を保護し、栄養を与える、実際緑の絨毯をやらない年の土よりも状態が良く美味しそうであった、土の状態を見るには美味しそうか否かという野生的直観が一番利く、旨そうな土というのはこう…落ち葉も美味しそうだよなあホロホロサクサクしてて…こうやって土に触れていると自然の中を懸命に生きている虫もだんだんかわいく見えてくるから不思議だ、虫は夏の間だけ生きているものが多いから虫たちに詩を歌わせたら夏の歌ばかりになるのだろう、もしかすると人間の思う春夏秋冬というものも局所的な見方でしかなく、もっと別の季節が本当は縦横無尽に存在しているのかもしれない…我々にとって人生の冬がそうであるようにクローバーも冬には枯れてしまうので土から引きはがしてしまう、本物の野生のクローバーは静かに世代交代するのだろうが、保存機で保存されたクローバーはF1種だから生殖しないのかもしれない、枯れ草の無くなった土は肉の削げ落ちた骨のように見える、放置するとどこまでも塵芥になろうと自己を蔑むので庭土という人工土に於いては人間の魔術を土もまた必要としている、この魔術はかき混ぜたり叩いたりという音楽的要素なのが面白い、もしかすると土は音楽を聴いているのではないか?それもスピーカーから流れる音楽ではなく人間が直接的な音響器官と化して奏でる…歌声なりリズムなりと調和共鳴しているのではないか?そういった意味では我々はひとつだ、我々を構成する要素は一つであって何の隔たりも無い、生も死も…手のひらから伝わる土の感触はまずまずの所だ、未来は触れば手のひらから見える、青々とした植物の歓喜が読み取れる、種まき太鼓叩き作業を終えて一呼吸ついていると、全ての合図に頷くようにやわらかい雨が降り注いだ…春だ。