創作文章 獏の骨 

散文、詩、日常独白雑想

(現実のはなし) ポイ捨ての心理とは如何に

 

 

 

ふと思う、ポイ捨てする側の心境とは何なのだろうかと、無意識的にポイっとやってしまう人の心境ってのはさすがにねこっちもさ微塵も髪の毛や古い皮膚なんかを落とさずに生きてゆけんのかと言うと当たり前だが答えはNOであるし無意識的な汚物垂れ流しについて罪悪感を持てと言われても不可能だろう、生き物ってのは得てして汚いもんなのだ、でもゴミを拾ってるとモノ(ゴミ)を通じてのテレパシー現象みたいなものが生じたりもする、春先はねえ頭おかしくなるからねと宥められそうだけど捨てられている物から察するに、『意識して毎回同じ場所に同じものを捨てている人の気持ち』即ちポイ捨てする側の心境というものを感知すると、どうやらポイ捨てする側にも何らかの理由があるようなのだとわかって来た、ああ全然同情とかしてないんでご安心をば、路駐通りと化す大通りわきに投棄されたもの(ゴミ)を見ると、たぶん目の前のトラックの運転手が捨てたと思しき吉野家のプラスチック弁当箱がいくつもある、トラックの中では運転席に跨るようにして寝ている男が一人、お前か、と言いたい気持ちも湧いてくるしゴミ拾いの女なんて全く怖くもなんともない毛ほども俺は気にかけちゃいねえよという不貞腐れた態度に同調してこれ以上こっちも馬鹿になりたくないんでね、別に拾うよいつも通り、でもまあこうして偽悪的に振舞われると、果たしてゴミ拾い行為ってのは良い事なのか、あるいは人を幼児退行させるものなのかわからなくなってくる、無意識的に汚れをまき散らしてる人間はさておき、同じところに同じものを敢えて投棄する人間の心理とは如何に?

 

ポイ捨ての心理とは如何に?

 

ちなみにゴミ拾い側の心理というものは一言で極論を示すと、自然のため、この一語に限る、そもそも人間のためではないし人間社会のためでもない、いくつかの大通りを清掃しているのもゴミというものは風に乗って交通量の多いところへ飛ばされた後、地域間で見ると最終的には川に落ちてゆくという現象を独自観察結果で突き止めたからに他ならない、自然の生き物がプラスチック食ったりして苦しんでいる現実を考えてくださいっっっっ!!…ってそれテレビか何かで影響されてんじゃないの?という意見もあるでしょう、しかしですよ、実際自然の中に人工物が落ちてると本当に異質な感じがする、強いて言えば毒、毒がある!!!って感じがしてしまうのですプラスチックが落ちているとね、これはメディアの陰謀とかいうレベルの話じゃなく、視覚的感触的にわかるものなのです、でもって川や雑木林といった自然の生き物が妙に輝いている時ってあるでしょう?ありますよね?そういう輝きというものは根源的に何であるのかを体感するときが…私にもあるし多くの人にもあると思う、ああこれか、自然が輝いているのは、自然の中に内在する超自然とも言うべき『この原子』のせいなのかと解る時がありますよね?自然崇拝的ですが、でその輝きを邪魔するのが人工物なんです、人工物とは言え人間がそれを人為的に祀ったり敬ったり畏れたりする対象として鎮座させていたりするものは何故か、本当に何故かはわかりませんが自然の輝きと調和共鳴現象が起こるのですよ、ああこれ主観的な話なので聞き流して下さっても結構です…とまあこういったわけで、ゴミ拾いをする人間(私)というのは得てして対【人間】よりも対【自然】の意識が強いのでこちらは、自然を重要視しているのでゴミ拾い行為をせざるを得ないという心理的事情があります、決して、別にね、超絶に説教したいわけじゃあないんですよ人間とかどうでもいいですからねポイ捨てするような奴は特に、とはいえこの気持ちが第三者に伝わるはずもなく、対【人間】意識の強い方々には私のゴミ拾い行為は何というか…時として甚だ偽善的に映っているのかもしれないし、それがために感応されて偽悪的幼児的振る舞いに一部の人間を陥らせてしまっているのではないかとちょっと気になっているのです。

 

それでもって無意識系ポイ捨て野郎の場合の心境は一切不明ですが『意識してポイ捨てしてる系ポイ捨て野郎』の心境、件のトラック運転手はもとより近所の公園にキリンのどごし<生>を数年に渡り捨て続けている通称『のどごし<生>』さん、お陰でキリン嫌いになりましたよええ下戸なんでビール事情はわからんのですがねストロングもクソですねえーアル中ホイホイ飲料でしかないです夜中にハイになって読経してる奴がストロング飲んでるんでそいつのことは『ストロング』と個人的に呼んでますが最近来ませんねぇ天国でも行ったのでしょうか、一気に巡り巡ってサントリーに対する憎悪感情が湧きました酒ってのは神事に使うくらい神聖なもんでしょ酒を汚し馬鹿にしているサントリーは(自主規制)という感じで、どうもビールや食べ物を捨てる奴は意図的に捨ててるんですよ、もっとも、コーヒー缶とタバコのポイ捨てについては猿的脳みそ無意識系ポイ捨て野郎共がやっていると感じるのでゴミに触れてもテレパシー現象は皆無です、ですがビール缶やら弁当やらを意図して捨てる人、意識して捨ててる系のゴミからは残留思念みたいなものを感じたりもします、十中八九ビールを公園で規則正しく飲んでる人というのは家で酒を禁止されていると思われるし仕事時間が決まりきっていることから考えても所得が低そうな感じがします、で、禁止っていうとどんな感じで禁止されてんのかなとか、嫁が居る風でもないから母親と同居かとか、そんな感じがわかるんですよ通称『のどごし<生>』なんかはかなり依存的な性格だと思いますね母親が部屋を片付けたら余計に汚くしちゃうくらいの馬鹿さ加減です、でもまあ馬鹿馬鹿言えないですよ実際のどごし<生>と私の知的レベルなんて大差ないのです、トラック運転手御用達の吉野家プラスチックごみなんかもね、私がトラック運転手だったら確かに吉野家食べるでしょうよそれに…ああー、このゴミを捨てた中に、高校の同級生とか居そう、と感じるのです、そう、不法投棄やポイ捨てといった浅はかな行為に何故彼らは愉悦を見出すのかというと、世の中から暗に蔑まれていると感じているからに他ならないのでは?私自身がやってきた学歴や仕事というのも人に誇れるものは皆無、恥ずかしながら底辺なので、底辺という括りを叩くだけの余力が無いのも事実、ポイ捨て野郎、こいつらだけ責めてても何の解決にもならない、んなこたぁこっちも百も承知よ、でも目の前の自然がっっっ…という心境でゴミ拾いしているのです。

 

今思い起こしてみても底辺高校のクソダサい制服に身を包んだ瞬間に暗に馬鹿にされているのを感じたものだ、で、あの感覚っていうのは一度強く体感するとなかなか抜けきらない、死ぬまで不可能だろう、私は馬鹿ですという名札をつけて歩いているようなもんだったしそれ以降の生活に於いても私はまともに稼げた事は自力では皆無である、何を以てしてまともにと称するのかと突っ込まれそうだが…街ですれ違う人なんかは現実的に考えて自分よりも絶対的に知的指数が高いという事実もまた私を怯えさせ、ある意味ではやはり偽悪的な性格にさせたと思う、そうなのです、漠然と大多数の集団と自分を比べて自分が弱いと感じると人間は偽悪的に振舞うようになるのです不思議だね、学歴とかどうして気にするの?人間はどんな人間でも人間でしかないんだよっ?こういう発言する奴に限って小学校から私立通いとかですよ、他人を励ましてくる奴に限って強者なのは真に世の皮肉である、とは言え人間社会だけを見ている対【人間】思考だといつまで経っても我が身を嘆くか偽悪的にしか振舞えないのが関の山であるのが弱者の弱者たる所以で、56億7千万年後まで人間社会に対する精一杯の反駁として手持ちのゴミを敢えて意識して投げ捨てる事くらいしか弱者には出来んのです、他のゴミ拾いの人の思考回路はどうなってるのか知らないのだが私の場合は、たまにどうしようもなくポイ捨て野郎に対する同族嫌悪の念が沸き立ってきて、本当にこれはしんどい修行だなあと感じたりしている、だからってね自然が汚されるのは我慢ならない…ああちなみに弱者と書いたけれども色んな(脳みそを含めて)身体的弱者というものを指しているわけではないし精神薄弱者を指しているわけでもない、断じて違う、ただ…ポイ捨てしている奴を見たりおそらくポイ捨てしているであろう人物を認識したりするとね、果たして彼等が弱者でなかったら弱者って何なんだろう?って気持ちになるのも事実なのです、どう見たって人間社会の中で一番何一つ言い逃れの出来ない言い訳の出来ない端っこに居るらしい人々だったりするんです雰囲気的にね、件の馬鹿高校の制服じゃあないけど馬鹿ですっていう名札下げて歩いてる人々が居るのですよ、その奇妙な辛さみたいなものをポイ捨てで憂さ晴らしするしか自己表現の方法を知らないのではないか?そして自然のきらめきを感知するだけの視力や聴力や第六感という名の妄想力が無いのではないか?と感じるのです。

 

だから口先だけでポイ捨てはいけないとは私には言えんのです、もしこいつ等を堂々と責めることの出来る人間が居たとしたらそれこそ、自分は誰かを叩きのめしたいという欲望を持っていると宣言出来るほどに自分の残虐性を自覚した最高に偽悪的な人間しか居ないだろうと私は思う、そういう偽悪的な人間しかポイ捨てという偽悪行為を徹底的に責めることは出来ないのだと感じる、全然ね、可哀そうがったりしてるわけじゃないです私も全く何もできないまま大人になった底辺ですから、上から目線というよりもポイ捨てする奴からも見下されてる状態だと思いますよええ、ただ、社会の底辺が生まれない社会を作るしかゴミ問題は根本的に解決しないと私は感じてるのです、個体差がある以上不可能だろうと思いますし差があって然るべきとすら思いますがね…だからまあ未来永劫生まれ変わる毎に私はゴミ拾いをせざるを得ないのかもしれません…それしか選択出来ないのですよ、もしかするとポイ捨てする人々も、そうなのかもしれない。