創作文章 獏の骨 

散文、詩、日常独白雑想

(現実のはなし)株  関与する趣味

 

 

自己完結型の趣味は我ながらストイックに、修行僧のように続けているけれど私にもさすがに、世の中に関与しなさ過ぎて虚しくなるという感覚はあって、それを癒すがために去年までは株をやっていた、欧米の株を買っていたので必然的に世界のニュースを知らなければならなくなり、情報遮断し過ぎる傾向のある我が性格を諫めるように少しずつ世界に関与していた。

 

ちなみに株といっても配当金株(この買い方の名称を失念)なので特段賭け事の要素は無い、NY株式市場が開くのが日本時間で言うところの夕方くらいなので過去底値の低すぎないカタい欧米の銀行や、押してきているような気がした生活雑貨の株を狙って初心者然と買っていたが、哀しいことに去年から既に足の具合で失業していたがためにスッカラカンの状態であったので、厳密に言うとたかが数万で株ごっこをして遊んでただけの話である、しかし今年に入ったばかりのある日唐突に『庭にバラを植えたい!無農薬で!』という実に中年女性的な強烈なヴィジョンを受け、最早それに抗えない状態であったので株式に変えてしまった数万の証券もすべて売りさばき、配当金までもを日本円に変え、数万数千円となった僅かな金額全部を1月初旬に下ろしてホクホクした気持ちで苗だの堆肥だのを買って庭仕事に従事し、世界がどうなっているのかはすっかり忘却してバラの咲くのをお花畑気分で眺めていた、2月くらいからコロナで株価が売りばかりに傾いて大変なことになったと風の噂で聞いたが…じゃあもう結果的に何よ、株って別にやらなくてよかったんじゃない?という気持ちと、いやでも配当金が数千円出来上がったじゃないか、苗が一個多く買えたじゃないか…という気持ちがない交ぜになって、株をまたやりたいんだけれどもそもそもやるお金が無い、という哀しい一時停止状態に陥っている。

 

小学校の授業で英語とプログラミングを導入したそうだが私の時代にも情報処理の授業はあってパソコンには触れていた…が、この液晶ずっと見て仕事をしていられる人間ではないという事はわかりきっていたのでほとんどこの授業の意味が無かったと感じている、英語もプログラミングも向き不向きがある、いやいやまるでわからないよりかはわかったほうがいいよという意見も理解は出来るが、みんなで同じことをやると競争率が上がり、結果【勝率が下がる】、【多くの人が出来る事というのは多くの人が勝つと定めた競走馬みたいなもんでかなり(競馬で例えると)オッズが低くなる】これは真実というか事実である。

 

プログラムを授業に入れるのは別にいいんだけどさ、それってもう識字率をあげて文字を書けるようになれば作家になれる確率があがるように見えてその実、作家と名の付く人は増えたけど読み捨てられるものも増えて、作家というオッズが低すぎて商売が成り立たないレベルだよね、一応礼儀としてすご~いって言ってもらえる位しか払戻金無くない?みんなが出来る事には意味がなくなるのだ、今の時代は多くの人が多くの事を出来るけれども結果的にやや貧しくなっている気がするのだ、勿論その中で多くの事を出来ない人はもっと貧しくなると煽られ…我らは駆り立てられて様々の事を学ぶが、正直…そういったプレッシャーで自殺率も人口に対して上がっているのでぶっちゃけ無意味であったとすら思う、パソコンの授業を受けている私たちを見て親は「わあ~新しい時代だあ」とか呑気に驚いて我が子のIQが唐突に上がったような錯覚を起こしかけていたがその実、みんな貧しくなった、あの団地に居た子供たちのうち結婚して子供もってるのなんんて数えるほどしかいないだろ、住む場所と養うべき家族を作れないほど、我々は貧しくなった、パソコンの授業のせいってわけじゃないが全体的に器用貧乏になった、これは主観的感覚とかじゃなくて普通に事実である。

 

すべては関与によって決まってゆくし生物と言う仕組み上どうしても、ウイルス蔓延とかで調子の良し悪しとが変動する、変動こそがこの世の宿命なので私的には、【学校の授業でやるべきは株や競馬だと思っている】、高校では株をやった、卒業者より退学者のほうが多かったんじゃないかってレベルの都立馬鹿高だったが株という選択授業があったので選択し、日本企業限定だったけど架空の資金があるという体で、配当じゃなく、買っては売り買っては売りみたいな方法で買っていた、架空の金があるという体で資金を増やし、授業が終了する一年後くらいには元手の倍くらいに(架空)資産を増やしたので講師に褒められたのを覚えている、その他褒められたこと無いからよく覚えている、いやまとまった元手あったら普通配当金で地道に増やすでしょって今なら思うが、当時の狙いとしては流動するものを追う楽しさを知ってほしかったのではないか、けど何故か流動変動するものに関しては【悪】のレッテルが貼られているので、私が株に手を出すのも善意の注意勧告をされそうである、儒教的迷信だよって言ってやりたいけどたまに真顔で、女性は男性よりも物事にハマりやすいから株とかの賭け事みたいな【危ない事】は駄目だよって言ってくる奴居るよな…どう考えても衝動性と興奮しやすさから言って男の方が危なくないか?ただ、じゃあ危ない事を避けて危なくないことだけをして生きるなんてのを魅力的に感じる人間って本当に居るのかというとそうではないだろう、やや危ない事、これが人生を恐れずに居られる秘訣のように思う(主観的意見です)。

 

株の話に戻るんだけどコロナコロナ言ってるけどこれはさあ2024年だの2025年には株価上がるよお~?ワクワクする、上がるよね?上がるに決まってるじゃないか、ああー今買っときたい!ってか今ほんとに買い時じゃない?会社が消失する寸前の底値であれば分散して買っておくのがベスト、しかも欧米の銀行とかあんま潰れないし(あ、ドイツ…があったか)そもそもエドガー(だったような気がする間違ってるかも)という安定企業一覧にしっかり載ってる会社であれば大丈夫だろ、日産はあんな事が起きた時には既に載ってなかったと記憶している、多くのまともな投資家なら日産株なんてあの時にはもう手放してただろうと推察、ああ~今買い時よ、内職代から病院代だの足指ソックス代だのそういうしみったれたものを差し引いて余ったまさに、スズメの涙に等しい最早円という単位ではなく一銭二銭みたいな単位の搾りかすを株に充てるしかない(確か内職に於いては銭という単位は現在も使われている)。

 

この一年は株の事はすっかり忘却していた、ニュースを見るのもうんざりする質なのでもともと日本のは見ないが世界のニュースも見なくなってしまった、バラが咲いてさえくれればそれでいい、みたいな局所的な頭脳になってしまった、金は天国には持ってけんのだよとか言われるかもだがそもそも置いていける金自体ない、でもって内職だの朗読だの毎日一個何か文章を短時間で書くという禁欲めいた個人競技をやってても…何にもならないのはしょうがないけど私自身が、自分自身が世界に関与しなさ過ぎてつまらないという感覚が生じてくる、人の輪には入れないしよしんば入ったとしてもいつもすぐに抜け出して一人で森の奥深くに住みたいとかしか思わない私だけれども、心の片隅には、寂しいという言葉で表すと大げさになってしまうのだけれども多少は関与したいし興味はあるという気持ち、本能もあるのだとつくづく思うよ、冬場だしどうせゴミもねえだろ、あー無意味だなとか思いながらしけた気持ちでゴミ拾い修行に行ったら予想外に散乱してて、なんかもうそれが逆に嬉しく、厳密に言うと「あたしが関与した意味があった、居た意味があった、やるべきことがあった」みたいな幸福感に揉まれながらそれらを拾い集めた(悪い男にひっかかる女とかってもしかしてこういう感じなのか?)、こうなってくるとポイ捨てする奴ってもしかしてあたしのこと間接的に励ましてくれているのかという謎の心境に至ることがある、つまり人間には、私のような偏屈で孤独を好むようなどうしようもない人間にすら、人間的関与が必要不可欠なのだということを思い知らされるのだ、だから株をまたちょっとは…これは本当の意味でかなりわずかな金額…買って、嫌々ながらも世界のニュースを漠然とチェックして過ごすのが、私の人間的生活を楽しくさせる秘訣なのだと感じた、関与というジャンルの趣味として、株とゴミ拾いを私はお勧めする。