創作文章 獏の骨 

散文、詩、日常独白雑想

(現実のはなし)コロナと自然環境

 

 

 

夏に土手に生える草はトゲトゲしていて地中の水分を水分を葉に集め、湿りやすい土の湿度を調整すると同時に、夏場に血液循環が良すぎて暴れてしまう生き物をそれとなく棘で牽制してくれている、人間を牽制し、川辺の生き物の守り人をやってくれているのだ…霜が降りるようになると川辺に生える草が変わり、寒くなると芝生に似てはいるが地下茎で束ねられた植物ではない、この偽芝とも言うべき植物は夏の棘植物とは打って変わって柔らかく、毛布のように岸辺に広がっている…この偽芝毛布植物は土手の土に水分を保たせるために群生しているとわかる、水分の無い土手はすぐに乾燥し、土の温度が上がるために雨すらしみ込まないので大変崩れやすくなる、土手が崩れる事は川の流れにも影響が出る、川の流れは緩やかな曲線を描くのがよい、一番効率よく勢いを保って河口へと行けるからだ、どこまでが川の意志でどこまでが植物たちの意志なのかはわからないが植物と川は一体ともいうべき協力の仕方で夏や冬を乗り越えている。

 

湧き水にも種類があるとは思うがこの小川にも数か所湧き水の溢れているところがある、しかし川に流れ込む湧き水というのはそこまで【深い】【長い】時間を土中で過ごした命の水ではなく、【浅く】【短い】水である、丘陵地帯の圧力が地下数メートルのところに垂直にかかって、見えない土中の一本道をまっすぐ流れてきた水だろうと推測する、この水はきっと元来は岩肌や土から染み出ていたのだろうが現在は整備された土管から流れてきている、「人がいる!」と思って振り向くと大抵この浅い湧き水である、人間の寿命くらいの間地中を流れていたのかもしれない。

 

この浅く、短い…たかだか数十年単位地中に居ただけの水にも効力があると見える、何故ならば、人工的な整備のためであろう…ある土管からは湧き水がごうごうと流れ出ているが他の土管は枯れていたりした、雨水にも関係すると言われているが整備によるものだと感じる(たまに工事しているから)、しかし実はよく見ると湧き水の流れ出ている付近の土手は草が茂っていて地面も適度に湿っており川と土手の状態が良い、しかし枯れている土管の周囲は植物も枯れて土がむき出しになっており、小川へ土手が崩れて流れ込んでいたり…はたまた土手全体が泥のように湿ってぬかるみ、最早土手としての機能を果たしていないほどに悪化している、これを悪化と言ってしまうのは独善的でもあるのだがその周囲には元来生えていたであろう植物がわずかながらに生えているだけで、あとは単なる【栄養の低そうな泥】だからである。

 

地中の栄養価は雨水のしみ込み具合で決まる、植物が生えていところの土は温度が低い(夏場のアスファルトは高温だが自然林は涼しい)、温度が低い+植物の根によって雨水が土中に沁み込んである程度のミネラルが地中深くに沈み、土自体が適度な湿度を保てるのでさらに植物が生え、よって川の土手は崩れずに強靭になる、別に川じゃなくても畑とかでも同じことだろうと思う、で、このミネラルの染み込んだ地下水というのが先に述べた湧き水だ、地中での圧力が多方向から強く長くかかればかかるほど、そして周囲の自然環境が良ければ良いほど湧き水のミネラル度数は上がると思う、まあ人里では必然的にそこまでの質ではない湧き水しか無いだろうがそれでも湧き水のミネラルによって植物が育ち、川の土砂崩れなどが防げているのだ。(数か所枯れた、あるいは枯れさせられた湧き水土管周囲を観察したところ植物が何事もなく群生しているのはそのうちの一か所だけであった、あとは粉を吹いた肌のように土が乾燥して小規模な土砂崩れを起こしているか泥沼のようになっているだけであった。)

 

地球規模で考えると…質の良い水が多い状態こそ生命の要であると定義するならば今現在の状態は、決して良いとは言えないだろう、我が家はこの小川を愛でているが土砂崩れが起きたら海の藻屑となりえん事をとか言いながら崩落を受け入れるしかない、勿論工事者(人間)側もこの件に関して憂慮しているらしく、土手には土砂崩れ防止と思しきアスファルトブロックが杭のように地面に穿たれている、対処しないよりマシだが植物の方が中長期的に良い働きをするので、湧き水土管の人為的調整は最小限にとどめたほうがいい…気がしている、当たり前だがこれは素人考えというもので実際の理工学的側面から見ると湧き水を何とかすべき事情があったのだろうと察せられるし、その何とかすべきという理由そのものに住宅街というものが当てはまるとしたら、この原因ともいうべきはまさに我が家や私といった地域の人間なのだろう、ああ私のせいだよ…ただもう一つ考えることがある。

 

地中深くに水の通り道があって無数の空間や圧力がかかっているのであれば、それを崩壊させるようなことをしたら地中で生きながらえていた菌類とかウイルスが他の地を求めて移動するという現象が必然的に引き起こされるのではないかということ。

 

コロナというのも人間側の引き起こした地下水脈の移動などによって生じた(出てきた)ウイルスなのではないかと感じている、ウイルスにも元来は菌類と同様に目に見えない働きがあるのだろう、地球の大半は地下なので地下世界の常識で言えば我々は地表の塵に過ぎない、人間という新しい餌(住処)にウイルスは満足しているのだろうか?暗い暖かい世界を恋しがっているのではないだろうか?いや全然罹りたくはないのでウイルスに同情とかしているわけじゃないんだが…身近な自然摂理を見ているとどうしてもそんな気がしてくる、そしてもう都市部の人間はほぼウイルス疾患していると私は思っている、全く罹りたくはないしうつしたくもないんだがこう言っちゃなんだけどもう私自身罹ってると思う、自覚症状は無いし陰性の人も含めてウイルスというものを保持していると感じている、ただそれ自体は地球で生じたものであり、人間側の要因によって生じたのだろう。

 

今現在いくら植林をしても今は世界は乾燥しているので、だから乾燥したところに適応した樹木しか植えられないのでいずれ今植えたものは全部枯れるだろうし下手をすると常在菌の種類が元来と異なる樹木を植えたがために、土壌改善までにかなりの時間を要することになるかもしれない…乾燥した場所に生える樹木と、もともと潤っていたであろう地域にかつて生えていた樹木との常在菌の違い、そして地下水と共に土砂崩れなどで出てきてしまったウイルスを考えると、何でもかんでも植林すりゃいいって話でもなさそうな気もするが、それでも地中深くまで水をいったんは入れてやらないといけないから乾燥地用の木々を植林するしかないのだろうな…。

 

草木が本当に根付くには菌が必要だ、それぞれに見合った菌類が必要だ…しかし地下水脈を移動させたりしたがために枯渇し、水分循環を失った土には死んだ菌の骸しかないだろう…私の憶測では数百年規模のかなりの年月、かなりの大規模な植え替えを経て土壌が徐々に肥沃になり、地中にも沢山のミネラルや菌やウイルスが共生して水の賛歌を歌い出したころに至って、元来の土壌に適したものを根付かせる事が成功すれば土壌が改善したと言えるのだと思う。

 

庭いじりにて土の改善のために私は菌類が必要であることをこの数年でとても深く知ったが…ウイルスも土自体に恒常性を持たせるためにとても必要なのではないかと思っている、繰り返すが乾燥した土の上にいくら雨が降っても土はひとりでにはそれを吸収出来ない、だから乾燥地帯ほど土砂崩れや一見相反した洪水が起こってしまう、洪水は水が豊かだから起こるのではなく実はその真逆だ、これでまた行き場を無くしたウイルスが飛び散るのではないかと思う、そして川の流れに乗って蔓延することもあったと思う、ウイルスとしてはきっと次の住処を見つけるために足を延ばしているのだ…、観察とはいえほとんど主観であるので推察というよりも妄想なのだが、自然やウイルスについては、こんな風に考えながら日々を生きている。