創作文章 獏の骨 

散文、詩、日常独白雑想

【短編小説】高校時代の同級生

 

 

川辺でスケッチをしている女性が居た、その人が何だか妙に見覚えがあるので僕はちらちら見返りながら通り過ぎた、空は晴れ渡っている、冬は好きだ、その時にはっと思い出した、あの人は高校の時の同級生じゃないか?同じクラスだった子だ!ああええっと、何だっけ、どんな思い出があったっけ?僕は自問自答しながら岸辺を引き返し、件のスケッチ女性の手前で足を止めた、僕にはもう家庭もあるし、別にやましい気持ちがあったわけではない、単に懐かしくて仕方ない気持ちに駆られていた、季節はずれのバッタが飛び跳ねてゆく、女性は振り向いて絵筆を止めて言った「あの…何か?」僕は言った「…いきなりなんですけど、間違ってたらあれなんだけど…もしかしてF高校に通われていた方じゃないですか?あの、僕もF高だったんです、まあ、もう20年も前の話ですけど…」女性は髪の毛を撫でつけながら僕を見つめている、その目が左右に揺れているのがわかる、結構可愛かったよなあ昔、やはり歳をとった今もその可憐さは残っている、僕は再び口を開いた「そういえば学園祭のポスターとか描いていました…よね?覚えてます!ていうか」そして僕は自らの名と彼女の名とを口にした、彼女はびくっと身体を強張らせ、まだ黒々している髪の毛を撫でつける手はいよいよ固まり、頭を抱えるような格好になった、絵筆がぽとりと川辺の草地に落ちるのが見え、僕は反射的にそれを拾おうと身を屈めた、その時彼女は叫んだ「触らないで!!」

 

一瞬辺りが静まり返った、川のせせらぎだけが聞こえる、鴨が笑っている、僕は唖然としていた、彼女は急いで草の間に刺さった格好になっている絵筆を拾い上げるとスケッチブックを閉じ、簡素な画材道具を乱雑に仕舞い始めた、僕は一応謝った「すみません…気に障ってしまったようで…いやほんと、なんていうか…」20年前の女子高生はぴたりと動作を止めて僕に向き直ってじっと見つめてきている、僕は訳が分からなくなり、彼女にこれ以上何を言うべきか自問自答した、老いた女子高生は言った「あのF高校」大きく息を吸うと今度はゆっくりと続けた「あの高校の名前もF、で、正真正銘Fランクの糞馬鹿高、あんたさあ、そんな高校名出して恥ずかしくないわけ?」まるで演劇の稽古でもしていたみたいに、あらかじめ用意していた台詞を吐いているかのようだと僕は思った、老女子高生はさらに言う「ま、あんたもぱっと見健常者に見えるくらいにはまともになったって事なのかな?けど私に声かけるくらいだから糞馬鹿高の思い出はさっぱり忘れてるみたいだねえ、仕方ないかあ、あんなFラン高校、中退者まみれの糞馬鹿高行ってたくらいだから頭の要領少ないもんねえ~、忘れちゃいましたかあ、おバカさんだもんね、猿だもんねあんた、猿のまま人間社会を生きてて辛くない?馬鹿すぎて辛さは感じないのかな?」

 

あまりの事態に僕は心臓がバクバクしていた、確かにF高校は都内最低ランクの糞高校であることを僕は思い出していた、一瞬『高校時代の同級生』という一種の文化的幻想…宗教的に例えるなら『聖母マリアの奇跡』とかそういう綺麗なもの、男の欲望的に言うと『女子高生』とか『再会』という強烈な洗脳が僕の頭を支配して、勝手に、糞馬鹿高校という舞台設定をすっ飛ばして『高校時代の同級生』という綺麗なパッケージされた何かを思い浮かべてしまったのは事実だ、それで彼女に声をかけてしまったのも事実だ、でもこんな風に言われなきゃいけない何かが僕と彼女の間にあっただろうか?思い出せない、思い出せない、思い出せない…僕が馬鹿だからか?最近仕事がうまくいってて、家庭だってあるし、学歴とかそういう社会の概念ごと消失していた事も事実だ、無理やり自分の社会的地位を思い知らされたような気もする、え、僕この娘と付き合ってたっけ?娘というか娘だった時代のかつての女子高生と付き合ってて酷い振り方をしたとかいう過去があったっけ?どうしよう、全然思い出せない、仮にそうだったとしても20年ぶりでここまで言われなきゃいけないのは納得がいかない、僕は言われっぱなしが正直癪に障るという理由から老女子高生に質問した「あのさ、なんかしたんなら謝るよ、けどこんな言い方は無いだろ…君が何を怒っているのかわからないけどもうだいぶ時間が経ったろ、僕たちって…」

 

老女子高生はスケッチブックと画材道具を脇に抱えて立ち上がり、僕の言葉を制して言った「まさか本当に忘れたわけ?」僕は狼狽えて言った「…もしかして付き合ってたりした?」老女子高生は舌打ちして大声で言った「はあ??付き合ってた??うっざ!!きも!!」きもいは無いよきもいは…全く予想外の反応に最早閉口するしかなかった、老女子高生は立ち去り際に叫んだ「私はあんたたちからされたこと忘れてないから!死ねよ童貞!!」いや童貞じゃないし、もう父親だぞ僕は…ああけどあの時、高校当時は童貞だった、一体何なんだよ、というかあいつ、まるで20年の時間がそのまま止まったみたいに喋りやがって、可哀そうなのはお前の方だろ…僕はやや憔悴して妻と子の待つ家へ帰宅した。

 

嫌な気分のまま自宅のリビングに入るとこの春から学校に通い出した娘が鞄を放り投げて泣いている所だった、先週からずっとこうで、ついにさっき理由を打ち明けたらしい、妻から聞いたところ最近いじめられているそうだ、父親としてはどういう態度を取るべきか…立ち向かったらどうだ?舐められるからいじめられるんだ、けどもいじめというのが一対一の喧嘩ならいざ知らず、もっと介入しにくい露見しにくい性質のものだったらどうなんだろう?娘の事は気にかかっていたものの、宥めすかして励まして学校に行かせる日々が続き、僕も仕事に精を出した、そんなある日の事、仕事が早々ひと段落したので嬉々として帰宅する途中でとんでもない場面に出くわした、近所の公園を通りがかった時に妙に子供の声が甲高く、騒がしく聞こえると思ってひょいと公園内を覗くと、なんと僕の娘がクソガキ数人に散々にからかわれて追いかけまわされているではないか。

 

「おい!何してるんだ!」子供同士の喧嘩ならいざ知らず、あからさまに一人を多数がいじめており、しかもその一人というのは正真正銘僕の娘である、僕は怒鳴ってクソガキ共と直談判しようとした、が、クソガキ等…たぶん同級生の男の子供たちは一目散に逃げていった、けれども大体誰だかわかった、同じクラスの奴が筆頭になって娘をいじめているらしい事も理解した、周りには娘と同じか少し年かさの女の子たちが遠巻きに見物している風だった、彼女らに「前からこんな事が続いているの?前から、あの男の子たちにこの子はいじめられてたの?」と聞くと少女たちは目配せし合って何か僕にわからないような暗号を交わし合っているらしく、埒があかなかった、その中の一人は入学式で一緒だった子だ、その子に「ねえ、学校でもこんななの?」と半ば懇願するように訊ねた、その子は歳よりもませた感じの子で、僕の娘をちらっと見やると僕に向き直ってこう言い放った「その子、のろいんだもん、いつまでも泣いてるし、みんなもそう思ってるよねえ?」

 

するとその言葉に反応した周りの少女たちも後ろの方で互いを小突き合って失笑し始めた…泣いている僕の娘を指して笑いを堪えているのだと思うと怒りが湧いた、小さいながらも少女たちは陰険な女だった、無垢とか可憐というのは上っ面だけでしかない、こいつらは老女になってもこうなんだろうか?人の悪口で笑う婆になるんだろうか?あるいはもう既に中身は陰湿な老婆なのだろうか?女特有の残酷な忍び笑いが漏れる中、腕の中に抱えている自分の娘は打ちひしがれ、すっかり青ざめて震えていた、娘の涙が僕の手のひらにぽたぽたと落ちた、その時に僕は不意に、あの糞馬鹿高校時代の光景をありありと思い出していた。

 

娘を寝かせてから暗澹たる気持ちで妻と相談した、学校の事、今後の事…今ここで逃げ癖がついたらと妻は心配していた、僕はそれをどこか上の空で聞いていた、目の前にはかつての自分たちのグループの仲間が居て、糞馬鹿高校のFの紋章のついた制服を着て群れていた、件のスケッチ女子高生を取り囲んで笑っている自分が居た、彼女は確かになんだかトロくて女子たちの集団からは浮いていた、当初自分たち男子4人のうちに、その彼女を好きになった奴がいて、そいつが彼女に振られた腹いせに集団ストーカーごっこをしようという話になってはじめた『遊び』だった、はじめのうちは携帯のカメラを持って昼休みとかに彼女を追いまわして、それがだんだんとエスカレートして、女子トイレまで行って用を足しているところを上から覗いたり、水をぶっかけたりしたんだった、透けブラを撮るとかそういう下らない理由で…それでもあの子は毎日学校に来た、そりゃそうか、後がないもんな、あんなFラン高校中退したらもう後が無いもんな…。

 

彼女の事を誰も助けなかった事を考えると、娘の事も誰も助けないだろう、教師はいじめの仲介者にはなれない、だって大人だから、生きている時間が違うから…僕は妻に言った「周りの人間には対処出来ないから、僕らが対処するしかない、仕方ないから別の学校に行かせよう」かつてやったことを自分が今の今まで忘れていたのと同じように、娘をいじめていた子供たちもすべて忘却するだろう、その時に娘が彼らを許せば…距離の離れた地点から許せば、友達になれる、でも今のままでは不可能だ、集団ストーカーごっこは本当に楽しい遊びだった、本当にというのは、だってあの時の僕らは毎日がつまらなすぎて辛かったから…そのくせ自分の不出来さは大人たちから、親からも責められる、学校というのは同級生との共食いの場所なんだ、それが当たり前なくらいの共食い、だからいじめるってことも当たり前なんだ。

 

僕の気持ちは二つに割れていた、あの時の僕であるところの今の僕は、一体何故20年前の集団ストーカーごっこが責められなければならないのかが未だにわからない、あいつはトロくて馬鹿で無口な女でしかもブスじゃないからちょっかいを出すのは楽しかったし、あいつが泣くのを見るとなんだか非常にいけないことをしているような気がして、変な話、性欲を刺激する何かがあった、けれどもレイプしたわけでも触って揉みくしゃにしたわけでも何でもない、あくまで集団ストーカーごっこ遊びをしていただけだ、それに発起人は僕じゃなくてあいつに惚れてた別の奴だ、僕は悪くない。

 

僕は悪くない、自分は悪くない、自分は知らない、きっと娘をいじめている子供たちも…自分たちがいじめに加担しているなんて微塵も思ってないだろう、かつての僕のように…もう一方の僕はと言えば、娘を守りたいという気持ち同様、スケッチ女子高生に謝りたかった、頭の中ではすべてが二つに割れているので心の半分はまったくもって何故彼女に謝らなければならないのかすらわからないので立腹すらしていた、けれどももう一つの僕、これが元々の僕なのかあるいは…恋をして結婚して子供が生まれて、そういう幸せのために学歴などの社会的地位を大して気にしなくなり、いつのまにかその重要性を失念したがために生じた、言わば真空状態によって生じた真人間めいた新人格なのかはわからない、それでもこの真人間の僕が、過去の自分を悔やんでいる事は確かだった、「とりあえず今日はもう風呂に入って寝よう、娘はしばらく休ませて、でも勉強に遅れないように、集団生活ってものがあの学校以外にもあるって教えてやるためにも、新しい学校を探してやろう、大丈夫、都内なんだから学校はいくらでもあるよ、僕はその分働くよ、僕が仕事を苦にしないタイプだっていう事はもう知ってるだろ?…なあ、ちょっと外の空気吸ってきていいか?川のほうまで散歩してくるよ」

 

夜の川辺には冬の冷えた空気が漂っていて、鴨も何処かへ行っているらしく動く生き物は自分ひとり、当然ながらスケッチ女子高生…老女子高生も居なかった、あいつはずっとあの地獄を生きているのだろうかと思うと急に恐ろしいような気がしてきた、たぶん、僕らのうち誰かに再会したら、憎むべき高校時代の同級生に再会したら投げつけてやろうと思っていた台詞を幾年も幾年も胸に秘めていたのかもしれない、いかに傷つけるかの練習していたのかもしれない、一方の僕は残酷にそれをせせら笑った、やっぱあいつトロいな!それをもう一方の僕…大きな僕は制した、トロいのはお前だよ、20年も前のノリを未だにやっているお前…僕は馬鹿だよ、僕は人の苦しみをわからない糞馬鹿だよ、謝らなければいけないよ、しかしたぶん、もうきっと一生再会しないだろうと僕はわかっていた、何で思い出せなかったんだろう、悪くないって思っている思い出を人間は思い出せない、ひょっとすると彼女も自分のした悪い事や至らない事は忘れているのかもしれない、それでも僕に彼女を責める資格は無い、微塵も無いんだ、僕は木の枝を取って砂地に一言、『本当にごめん』と書き、誰も見ていないかの再会場所で一人深々と頭を下げた。

 

 

 

 

 

 

※この話はフィクションです。