創作文章 獏の骨 

自作短編小説、散文、詩、日常独白雑想

江戸恋し

 

私は戦争関連の作品というものが極度に苦手で、我が国はもとよりどの国のものであれあまり見ないようにして生きてきた、だから戦争という概念で涙したこともまた無かったと思う、さて、最近朗読をやり始めたこともあって家で仕事時(内職)に気に入った人の朗読を流していたりする、その中に江戸時代をモチーフにした作品というのが結構出てくる、というのも青空文庫などの著作権切れの名著というものは100年くらい前の作家が多く登録されており、その中から聴くということになるとどうしても、江戸時代が舞台の近代古典(という感じがする)等に行きついてしまう、元来本を読まない(読めない)気質であるのでいかにもな文豪などの作品を聞く気にもなれず、半ば消去法で選んだ朗読作品に時代物が混ざるという感じだ、当然時代劇も見たことが無いので初めのうち頭の中はちんぷんかんぷんであった、しかしそのうちに旧約聖書を読むときのような不可思議な共感覚が芽生え、いつの間にか私の内部には江戸が形成されてゆくのだ…あの話で出てきたあたりか、この話はこのくらいの時代か…そんな風に夢想に夢想を重ねて、厳密には良く思い描けない種々の髷の感じとかも、粋と言えばきっとあんな感じだろう、上方風と言えばちょっと趣のある感じかもしれない、夜は提灯を灯すところからはじまって、江戸の街の雰囲気を漠然と思い浮かべる…そしてふと思い至る、江戸って、東京じゃないかと。

 

しかし都内の何処を見回しても江戸風の場所というのは皆無である、地蔵とか皇居とかはあるが皇居を見て江戸市民の暮らしぶりが見えてくるかと言うと否である、まあ、お堀の魚を捕まえたら死罪とかそういう刑罰らしきものがあったとかを思い浮かべることは出来るが、区画整備も道路の幅も、建物の根本的な形状も、素材も、色も、匂いも…江戸を彷彿させるものは何一つ無い、皆無である、どでかい寺や先に述べたかつての将軍様の城というのは江戸でいうところのいわば非日常である、私は日常が見たいのだ、江戸が無いなら時代劇を見ればいいじゃないとも思うがそういう事じゃない、都内をめぐっても江戸には出会えない、どこをどんなに探しても面影のない夢を追うかのごとく、杖をついて歩き回る気にもなれない、物理的に近しいのにそこへ行っても何もないという虚無感、日本人にとって自らの拠り所と言っても差支えないであろう文化そのものに触れられない悲しさを知った。

 

元々が新興宗教の子供だったせいもあって本当の意味での自国の物を私は遠目に見てきたように思う、別に自国の物に対してさしたる愛着も抱かなかったのでそれは全く悲劇ではなかった、しかし今強烈なさびしさともどかしさを感じてはっとしている、このことに思い至ったとき、私は初めて太平洋戦争というものがどういうものであったかを思い知った、結局のところ今の日本人というのはかの戦争での生き残りの子孫でしかないのだ、だから戦争の思い出(?)というとそれは必然的に生き残った思い出に結びつき、その後に続く高度成長期前の動乱を自己肯定感として受け入れてきた人々の思想を…無意識的に、嫌でも受け継いでいる、勿論私もそうなのだと感じている、別に個人的にそうでなくとも集団心理的にそうであると思う、だからこそ江戸復古の気持ちを誰も思いつかなかったし重要視しなかった、だって太平洋戦争というのは時空の裂け目みたいなもので、江戸と全き東京以降との間に大きく亀裂を残している、それ以前に触れたくても触れることなど不可能だし、それを肯定してきた歴史の上に今、自分が居る…なんとも言いようのない気持ちで、生まれて初めて、戦争というものを物理的にやってしまうと文化が根こそぎ無くなるのだという事を体感し、見たことのない江戸が恋しくて、私はしばらく我を忘れて泣いた。