創作文章 獏の骨 

散文、詩、日常独白雑想

【散文詩】これが最後の日なのだと男は気づき

 

 

 

周り中誰も気づかない中、密かに、これが最後の日なのだと男は気づき、持ってゆけるものが無いかどうか辺りを見回した、手でつぶしたら紫色の果汁が溢れそうな群青のラピスラズリ、遥か昔、あるいはついさっき、両親が離婚する前に家族で行った祖父母の家で、夕食時に幼い孫息子である自分へと出された青い透明色のプラスチックの子供用箸、それは舐めたときにソーダの味がしたが、聖書を愛読するあの厳しい母親に窘められ、箸を舐めるのは止めざるを得なくなり、密かなソーダ味とはそれ以来縁遠くなったのだった、同時にかの祖母の杖や和紙を固めて造ったという模造石の指輪も思い出した、飛行機の模型も、履き古した運動靴も思い出した、その思い出の中から男は一つ一つを手に取って、旅路に連れてゆけるものが無いか吟味した、どれもこれも連れて行きたいようでもあり、どれもこれもガラクタに過ぎない気もした、とは言え石の類を男はある種の生き物として捉えていたため、手持ちの貴石や半貴石を並べてみた、石というのは成長しているのだと男は常々思っていた、こちらの時間枠では測ることの出来ない長い時間をかけて石たちの生命の旅は続いてゆく…幼いころに渓谷で偶然見つけた水晶の内側には曾祖母の言う山脈が確かに連なっているのが見て取れた、最後の日となった今現在でも男は眼球を動かしてその小さな水晶の内に広がる山々を、凍てつく万年雪の頂をまざまざと見ていた、もう身体は動かないはずなのに今までに見聞きしたすべてに触れることが出来た、魂だけになることを理解してはいたが、だからといって唐突に素っ裸のままで宇宙に放り出されても元気はつらつとしていられるほど自分はタフではないと男は感じていたし、ともすると同じように肉体の名残を偲ばせる…魂という死んだ生命体…こんな甚だ矛盾した存在に出くわすことになるのかもしれないという予感もあった、これが最後だ、さあ、さあ、男は何かに追い立てられるのを感じて素早く水晶を手に取った、目の前には水晶の山が広がっていた、死んだ生命がすべてそうしてきたように男はためらうことなく飛び立った、すごいぞ!まるで飛行機みたいだと男が最後に笑ったことは誰も気付かなかった。