創作文章 獏の骨 

散文、詩、日常独白雑想

満月とゴミのポイ捨ての関係

 

思いもよらぬポイ捨てゴミ大漁日に、最早ゴミストーカーであるところの私は考えた、もしかして今日は満月なんじゃないか?果たして結果はその通りであった、どうやらゴミのポイ捨てを行う人間というのは月の満ち欠けに感情や行動を左右されやすい性質があるらしい。

 

原始時代の人間かよと毒づきたくなったが、よくよく考えてみるとゴミのポイ捨てが悪なのは、空き缶やペットボトルや食事のゴミが自然に還らないから問題なのであって、これがもし、本当の原始時代で、野生の果物とか何らかの自然生命体の残骸を捨てた場合、ポイ捨てとて、種を地面に還したり、栄養を土に与えたりする効果があったわけで、むしろそのほうが自然の循環のサイクルと一致していたので、善行だったとも言えるのだ。

 

ゴミのポイ捨ては太古の昔には全く悪いことではなかったのだ。
昨今の人間の中にもポイ捨てを気分的に、月の満ち欠けに左右されてやってしまうというのは言わば先祖返りみたいなもので、人間の環境が急速に変化したことへの歪みを如実に体現している。

 

言ってしまえば原始時代人たちがまだ居るということだ、彼らを責め立てても無意味であると私はある時から悟っている。

 

毒物とかでない限りポイ捨てに関しては怒りは湧かない、すべてが調和のためになされる行動であることを考えると、満月前後に衝動を覚えてゴミを投げ捨てるというのはどこか詩的ですらある、理解は出来るということだ、ゴミをばらまくというのはおよそ何の労力もなく周囲に自分の歪みを表現可能だからだ、ちょっとした食べ物と飲み物だけで表現可能なジャンルというのはポイ捨てくらいなもんだ、勉強するとか絵を描くとかスポーツをやるというのは物を買って投げ捨てるのと比べたら信じられないほどエネルギーを要する、体現や表現というものは本当に疲労困憊するし努力が必要だ、それを先祖返りの要領で気分の高揚とともに路面にばらまけば一気に、汚くなる、ということの体現が完成する、小一時間もかからずにすべてが完成する、しかもこれが有史以前には自然のサイクルの一部の働きを成したというのだから人間がポイ捨てをやめられるはずがないと私は思う。

 

少なくともあと1万年くらいは人類はポイ捨てをやめられないんじゃないかと思う、断っておくが理解は出来るがポイ捨て行為には全く賛同していない、理解と賛同はまるで別ものである、よって川とか自然に投げ捨てるのは水も汚れるし本当にやめろと言いたい、満月に身体が疼いてポイ捨てしたくなるならせめて自分の家の真ん前にばらまいとけと言いたい、ゴミたちは時間経過とともに風に吹かれて結局は水辺に行く運命だが、こちとらゴミストーカーなのでなんならポイ捨て野郎、原始時代野郎の家の前まで行って、ゴミが川に至る前にすぐに駆けつけて取ってやるよと真顔でポイ捨て野郎を凝視しながら言いたい、いや全然怒ってなんかいないし脅しているわけではない、古代人というか類人猿と称すべきか、ともかくそういったポイ捨て野郎の手合いと私個人の関係など、どうでもいいのだ、余計なラポールなど一切成立せんでよろしい。

 

私は自分が拾える範囲で害になるものを拾う、それだけだ、私は拾う、それだけだ。

 

しかしまあ、太古の昔には自然の一部ですらあったこのポイ捨て行為が、人類の進化とともに自然の循環を滞らす害悪に成り下がったのは、なんとも悲しいことである、よって満月近辺には積極的に拾いに行こうと思った次第である。