自分のサイト

 

 

人間ってのは観る、聴く、味わう、嗅ぐ、触れるという五感しか体感するものがない。だから観る、聴く、読むってのは…まあもうこれしか開示しようがないからこうして、絵と朗読と文章って言う風に無理矢理に分類して体現するしかない。ゴミ拾いなんかは完全にパフォーマンスアートのジャンルに入ってしまっていると自分では思う。

 

さて、今は自分のサイトを作っていて、サーバーやらドメイン契約を済ませてあれこれ試行錯誤している。でもその自分HPがなんだか「2000年代あたりにこういうサイトあったよなあ…」っていうような、当時だったらオシャレなんだけど今見ると懐かしい感満載で、人生初めてジェネレーションギャップというか、年代ってものを如実に体感してしまって若干凹んでさえいる。いつも人と話すときなんかには年代って本当に関係ないんだなと思う事が多かったので、あまり世代縛りみたいな感覚で生きていたくないんだが、それでも自分の絵はなんだか今見ると古臭かったりするもんで気恥ずかしい。しかし私は自分に語りかける…

 

「でもさあ、だからってオシャレな写真素材をネットで拾ってきて自分のサイトに載せたらさ、それって誰のサイトになるの?せっかく自分の描いた絵があるのにそれを使わないなんて勿体ない!それに、こう言っちゃなんだけどオシャレなサイトで記憶に残ってるページってある?実は記憶に残るのって若干個人臭出過ぎ位のちょっと変わったサイトだったりするんじゃないの?」

 

…そんな想いが渦巻いて、ついに覚悟が決まってきて、知人とも相談しながらそのサイトの中に絵画と、朗読音源と文章を入れて観る、聴く、読むを体感出来るように作っている、しかし作っているといってもWordpressにテーマを入れて使っているので小難しい言語を操っているわけでもなんでもない、にもかかわらずなかなかに苦戦している。

 

今思えば携帯も高校時代に普通にあったしネットにもそのくらい昔から触れているものの、それはただ単に与えられたものを使っていたに過ぎない、それは能動的ではなく実はかなり受動的な状態で、使うという事と作るという事は全く別モノなんだなと感じている。2000年代当時にHTMLを理解して、Wordpressなどを使わずにサイト構築できる頭の人たちがネット世界を作り上げてきたのだ…だから必然的に昔のネットの方が頭のいい人の作ったものに出会う確率が高かったのだ、よって当然の如く内容も深かった、気がする、気のせいじゃなくてたぶん本当にそう…ってああ、これが懐古厨ってやつなの?ネット黎明期、20年前とかをただひたすら懐かしんで讃えているだなんて…だって昨今ブログ型サイトばっかりで全部どっかで見たような綺麗なだけの素材を使ってるもんだから一つ一つに全く特色が無く、物凄いサイトに出会ったときの歓びがあまり無い、アフィリエイトの影響もあって一人の手持ちブログがほとんど無限増殖しているのが昨今の習わしなわけだから、昔よりもネット情報量が多いはずなのに、質量のあるサイトには逆に出会う確率がかなり下がっているのも事実。

 

絵と朗読と文章を一度に公開する場所として自分のドメインの場所を持ちたい、これは作る側のわがままでもある、だって鑑賞者は絵か朗読か文章のどれかは目当てだけど他の事には興味ないだろうからね、そして絵だったら絵だけ、朗読だたら朗読メイン、という風にジャンル分けをするのが全体的な流行りのようだけれど…敢えて、一人の人間が表現するものをまとめて開示するという手法を取ろうと思い至った(そのほうが管理するの楽だし)。

 

なのではてなブログに書いた文章も後々移行させてゆく予定です、この文章がはてなブログにアップされる頃までにはサイトが完成していたらいいなあ…。

 

 

 

 

※↑という願望を数週間前に書いたのだが、とりあえず、さっさとこちらのブログを打ち切る事にしました。

 

☆(今までの散文詩を手直ししてアップしてからになるので新しいものを掲載するまではちょっと時間がかかりそうですが)これからは新サイトで散文詩やら絵やら朗読をアップしてゆきます。新しい場所でお会いしましょう、では!

 

Aya Ogata | 観る、聴く、読む 絵画と朗読と詩作の創作サイト